
こんばんは。オガサワラです。
今回は少し自戒的な意味も込めてなんで辛いのか分からないのは辛いよね、という話です。
自分がどうして辛いのか分からないけど、辛いことってありませんか?
自分がどうして辛いのか分からないけど辛いなんてこと、きっと誰でもありますよね。
言語化するとより辛くなるという人もいますが、なんで辛いのか分からない方が辛くありませんか?
というのが本エントリーの趣旨です。
言語化するとより辛くなるという主張の大枠としては、
気分が乗らない塞ぎ込みがちだ、などの症状に『季節性感情障害』などの病名を与えてしまうことにより、ああ自分は病気なのだと実感してしまい余計に辛くなるというものです。
言わんとすることは分かります。
でも、自分がどうして辛いのか分からない方が本人にとっては幸せなのか…?
そもそも着地点が違う
言語化するとより辛くなるという主張では、病名を与える(知る)ことが着地点ですが、違いますよね。
あくまでもどうして辛いのか原因を明確にし辛いという現状を改善することが目的です。
精神的な問題は解決するのが難しいという性質から解決するまでの過程が目立つのでしょうけれど、辛いのはあくまでも過程なんですよね。
その過程で、精神的な疾患だと診断される場合もあるかも知れませんが、思考放棄することこそ危険ではないかと、僕個人としては感じます。
原因は明確にさせておいた方が良い

なんとなく辛くても明日には気分が晴れるかも知れないと自分がどうして辛いのか考えないことは簡単です。
それにもしかすると明日には本当に気分が晴れているかも知れない。
でも、それってこの先も不意に辛くなるんじゃないか…、というリスクが伴うということになりませんか?
直ぐには解決できないからといって目を背けていては取り返しのつかないことになりませんか?
何も直ぐに克服することができなくても原因が分かっていれば戦いようもあると思うんです。
少しずつ向き合っていけるようにすれば良いのではないでしょうか。
まとめ
真面目な記事になってしまったので公開するか迷ったのですが…、まあたまには真面目もありかなと。
↑の記事にも書いたのですが「僕自身が今の自分が置かれている現状をだんだんと楽しめなくなってきている」その原因が成長しないことに飽きているであったり、他にも思い当たる要因がたくさんあります。
そして、上辺だけではなく、きちんと考えるべきだよなと改めて思わされたのが本エントリーを公開した経緯です。
というわけで、なんで辛いのかはよく分からないんですけど、なんで辛いのかよく分からないのは辛いのは辛いよね、という記事でした。
最後まで読んで頂きありがとうございました。