格闘ゲームは下手の横好き。オガサワラです。
格闘ゲームの大会で数々のタイトルを冠し、世界一賞金を稼いでいるプロゲーマーとしてギネス記録も樹立しているウメハラこと梅原大吾さんが「Daigo the BeasTV」で格闘ゲームに置ける調整の歴史を語られる一幕が話題になっています。
こちらの記事で詳しく説明されています。
格闘ゲームにおけるバランス調整に対して一石を投じる内容は刺激的で興味深いものでした。
この格闘ゲーム史に置けるバランス調整への言及は『スト5』のシーズン2がダウナー調整だったことに対する問題提起とも受け取れる、というより、まんま問題提起なのでしょう。
とはいえ、何が正解ということもない世界です。
格闘ゲームに置けるレベルデザインは、「e-Sports」が市民権を得ていくに連れて、どんどん厄介な問題へと発展していくのではないだろうか…、という予感があります。
競技性を重視したバランス調整は、ゲームとしてのおもしろさを破綻させるというのは、確かなのでしょう。
これは過去のヒット作の傾向をみても明らかではあるのですが、「かつては競技としての格闘ゲームが確立されていなかったから」という前提があって然るべきではないだろうか…とも思うのです。
格闘ゲームを競技としてみると、プレイヤーの意見にどこまで耳を傾けるのか…、これは大きな課題ではないでしょうか。
今回の問題提起により、カプコンはこれらの意見を取り入れて「スト5」になんらかの調整を施す…、となんとなく予想しているのですが。
遊んでいて単純に楽しくなるのは嬉しいです。
でも…、それだけでいいのだろうか…と、ここで僕は思います。
今の時代、情報伝達の速度、意見を組み上げる仕組みが発達し過ぎていて、消費者側が物凄く強い。まあこれ自体はぜんぜん悪いことではないですけれど…、ことゲームというコンテンツはプロダクトアウトであるべきではないでしょうか。
もちろん、例外はあると思いますが…、娯楽コンテンツ全般がプロダクトアウトであるべきだと個人的には考えています。
消費者の意見を取り入れまくった映画が面白いものになるなんて僕はぜんぜん思わない。
ゲームだって消費者の意見を取り入れまくったゲームが面白いゲームになるとは到底思えません。
なので開発側は、ただプレイヤー側の意見を取り入れるだけではなく、バチバチに意見をぶつけてきて欲しい。
これまでの格闘ゲームの歴史は開発側がこう遊んで欲しいというゲームデザインをプレイヤー側の発想が上回ることで、まったく新しい技術や遊び方が生まれて発展してきたという背景があります。
競技としての公平性に言及するのであれば、拡散力の強いプレイヤーの意見を取り入れた調整より、これはこう遊んで欲しいというメーカー側の主張が感じられるゲームデザインである方が良いと個人的には感じます。
という考え方とは裏腹に、ただ1ユーザーとして遊ぶだけの立場から考えるとウメハラのいう通りに調整した方が面白くなるんだろうという期待もあります。
どこでバランスを取るのかは難しそうですが…、言われたから変えたよというのでは、作り手の信念を感じることができません。
カプコンはメーカーサイドとして、「スト5」のレベルデザインのコンセプトをしっかりと提示しないと今後ブレブレになるんじゃないかな、と一抹の不安を感じる。そんなニュースでした。