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「自分の育成失敗した感がすごい」という記事が完全におまおれ

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こんにちは。オガサワラです。

少し前の話題で申し訳ないのですが、増田の自分の育成に失敗したという記事が話題を呼びました。


anond.hatelabo.jp


その記事を読み、感じたことがあるので、記事として書き留めて置こうと思います。

もし強くてニューゲームができるとしたら、今の記憶を引き継いで人生をやり直せるとしたらやりたくないですか?

これってある種の生物的な本能だと思うんですよね。

話は逸れますが、人生をやり直せるものならやり直したい、こういうフラストレーションが教育熱心な親を生むのだろうと思います。

日々の怠惰や選択ミス、己の行いを省みた時に後悔は尽きません。

そして、その種の後悔って程度に個人差がありますが、子に自分を投影することで、解消できると思うんです。

前世代が次世代に伝達できる情報量の多さこそ、人の特質的な部分で、他の種とは別次元のスピードで進化を促している要因なのだと思います。

つまりは、人という種として健全であるほど、自分の育成に失敗したと感じるものなのではないかと。

今回の増田を読んで、望む望まないに関わらず子供がいない場合はどうなるだろうかと、ふと思ったんです。

例えば自己を投影する対象を別にみつけるなんてのもいいでしょう。親戚の子供だったり親しい友人の子供だったり。この増田の場合だと、教師なろう教育実習に行きますが、結局、教員採用試験は受けなかったと書かれています。

そもそも自己を投影する対象として無意識的に捉えることができなくては解決しないのでしょう。

それを未熟と捉えるのか人間性と捉えるのか、とにもかくにも、こうなると、行き場のないフラストレーションに苦しみ続けるはめになるのでは、と恐ろしくなりました。

子を産める産めないの観点だけで生産性が云々と語り炎上した方もおられますが、今の時代、ジェンダー問題は置いておいても、子を作らない生き方も尊重しようという流れに向かっているのは確かです。

つまり、この手のフラストレーションの解消方法も、それに伴い多様化して然るべきであると思うのです。

と、同時に、そんな生物学的な本能は前時代的であると切り捨てるベクトルも考えられます。

自己を100%投影しブラッシュアップし続けることができるならどうでしょうか。例えば今の僕がオガサワラ第一世代なら短所を補い長所をのばすように進化させたオガサワラ第二世代を作成できるとしたら…。

近い将来クラウド上に自分をまるっとアップロードしブラッシュアップしていくことも可能になるかも知れません。そんな自分の分身に自分をオペレーティングさせたら…。

さらに、超展開させシミュレーション仮説と結びつけると、今自分がみているこの世界が、まさにその道中である可能性だってありますよね。

そして、自分たちの世代が最初の個体から何億世代もあとの存在なのかも知れません。

仮に最初の個体をαと呼称するならα=神であり、我々の父または母なる存在なのでしょう。

大分飛躍してしまいましたが、今自分がここにいることなんてどこかの誰かが気まぐれにボタンを押したからに過ぎないのかも知れません。

そう考えると少しは気持ちも楽に…、ならねぇか。

そんなこんなで最後まで読んで頂きありがとうございました。