こんばんは。オガサワラです。
Googleのフレッドアップデートの影響もありブログを収益化している人への批判が強まっていると感じるので、ここ最近僕が考えていたことをまとめます。
※フレッドアップデートの概要は割愛します

ブログ云々の前に。
そもそも批判対象である「お金を貰うこと=下劣」というイメージの根元はどこにあるのか。
これはボランティア精神が崇高だというイメージの対比だと考えています。
ボランティア精神が崇高であることは否定しません。
でもボランティア精神が崇高だからお金儲けが下劣というのは短絡的ではないでしょうか。
ボランティア精神と金儲けを善悪のように2つに分けてしまうのは危険です。

ボランティア精神と金儲けを善悪のように2つに分けてしまうことが、どのように危険なのか僕の知っている身近な例を挙げると、介護業界とか正にそう。
僕の知っている数人の介護業界の人間に聞いた話なので確実性を保証できる情報ではありませんが、介護業界の賃金があがりづらいひとつの要因としてボランティア精神が関係しているという話を聞いたことがあります。
ボランティア精神を持って仕事をすることは大切でしょうけれど、介護職はボランティアではありません。
介護業界で働いている彼/彼女たちだって生活のために働いているんです。
ただボランティア活動と老親介護などをイメージ的に結び付けるのは容易です。
故に、介護職に限ったことではなくボランティア活動と聞いて連想してしまうような職種の方は同じようなジレンマを抱えているのかも知れませんね。
そして、このボランティア精神と収益化が恐ろしく相性が悪いのは火を見るよりも明らかでしょう。
この点を国がもっと上手くサポートしていくべきではないかと思うのですが、この問題をこれ以上深く掘り下げても当エントリーの趣旨がズレるので置いておきます。
このボランティア精神が弊害になっている業界をもう1つ挙げると、音楽業界、特にライブハウスなどもそうです。
好きでやってるんだから給料は低くてもしょうがないという意識が業界の根底にあるんですね。
確かに、間違ってはいないのかも知れません。自分の好きなことをやる代わりに別の部分を諦めるのは等価交換です。
でも、だからといって収益の最大化を諦めるのはまた違います。
音楽が好きだから業界のために奉仕したいという精神は必要でしょうけれど、生活のためという部分を蔑ろにしてはいけません。
この2つの事例だけでもボランティア精神と収益化を対比構造で捉えるのがいかに危険なのかが分かると思います。
ボランティア精神と収益化を両立させることができなかった結果、例に挙げた2つの業界は今、深刻な人材不足に陥っています。

さて、話をネットの世界に戻します。
上記で挙げた業界の人材不足とまったく同じことがネット文化でも起こり得ると思います。
ボランティア精神が崇高なんだから金儲けは間違っているんだ、なんて言い出したらそのうちに誰も個人レベルでコンテンツなんて作らなくなります。
コンテンツの数は減っても、その分、コンテンツを作る企業に金が流れてコンテンツの質があがるからいいじゃないか、といわれたら全くその通りですが。
なんかつまらなくないですか?
もっと自由で良いと思うんですよ。
ブログの目的が自己実現でもお金でも、その両方だって良いじゃないですか。
なぜ、どっちかみたいになってしまうのか…、このまま自己実現欲求や自己承認欲求と収益化の対比構造化が進めばボランティア精神と収益化のような関係になってしまい、その結果、ネット文化は衰退していくと思います。
各々の目的で各々の思うように発信すればよい。
そのスタイルを誰も否定するべきではないし、決して否定されるべきではない。
ブログの目的が自己実現でもお金でも自由でいいじゃないか。
という話でした。
※自由にとはいってももちろん法の許す範囲での話です
昨今、この手のブログ運営についての問答はDeNA「WELQ(ウェルク)」問題が発端であると思います。
そもそもキュレーションとかまとめを、ここぞとばかりに一括りに叩く風潮も嫌いです。
Googleには勝手に収集されてもOKなのにキュレーションサイトで引用されるのに目くじらを立てるのも良く分からないです。(引用条件を満たしているものに限りですよ)
だったらノーインデックスに設定したら良いのではないでしょうか、と思う。
この手の話も掘り下げると趣旨がズレるので、もし機会があれば別エントリーで書きます。
まあこんなこと言い出してたら息苦しくて堪らないですよね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。