こんばんは。オガサワラです。
『ウメハラ FIGHTING GAMERS』の6巻を読んだので所感など。
ちなみにこちらが『ウメハラ FIGHTING GAMERS』の過去記事。
話の内容は淡々とゲームをして、人と出会い、そして強くなっていくというシンプルなものです。
個人的にこの漫画を読んで思うことは、ゲーセンで形成される独自のコミュニティがどういうものなのか良く分かる漫画だと思います。
例えば、学生の頃にゲーセンに入り浸っていたという人にとって、『ウメハラ FIGHTING GAMERS』で描かれるゲーセンの不健全な空気感(良い意味)というのは懐かしく感じるのではないでしょうか。
強いものが正義だし、独自の発想をしたものが正義。周りに合わせる必要なんてない。まさに個人至上主義。
そんな空気が昔のゲーセンにはあったと思います。
不健全どころか一見健全ですが、不健全な場であるからこそ培われた空気であることは間違いないと思うんです。
これが学校や会社のようなコミュニティだと中々こうはいきません。建前では意見交換をしていても同調圧力に屈することになったり、出る杭は打たれたり、そんなことを繰り返している内にどこからどこまでがポジショントークでどこからどこまでが本音なのかも分からなくなってしまう。
こう考えてみると内部的には健全な社会の方がよほど不健全であるようにも感じますが…、まあとにもかくにもひと昔前のゲーセンにはやっぱりちょっと変わった人達が集まっていて、彼らは変化や違いを恐れずにそれを正義としていたのです。
『ウメハラ FIGHTING GAMERS』は、そんなゲーセンのことがよく分かるゲーセン世代にぜひともおすすめしたい漫画です。
まとめ
はじめてゲーセンに入った日のことは今でも覚えています。
ゲーセンに通い出すまではスーパーとかに設置されているアーケードゲームで遊んでいたのですが、それだけでは物足りなくなり、友達に近所にあるゲーセンにいってみようぜ!! と提案したのがキッカケでした。
はじめていったゲーセンはこじんまりしていてゲーセンの隣に設置してある自動販売機ではアダルティな本を売っているという怪しい雰囲気の満載のお店でした。
ドアをあけるとタバコの煙が充満していて…、煙の向こう側では普段何してるかも想像ができない風貌の人達や明らかに不良学生という雰囲気の人達の姿が…。
カツアゲとかされたらどうしようなんて不安に思いつつ小銭を握りしめて、さっそく台にコインを投入。
すると即座に乱入されお小遣いを一瞬で失い悔しい思いをして帰ったのが最初。
そこから少しちょいちょい学校帰りとかに通うようになって、いつの間にかゲーセンが好きになっていました。
たぶんもう昔、僕が体験したようなああいう雰囲気のゲーセンはこれからはなくなっていく一方なんだろうけれど、(お世辞にも子供にとって良い空間ではないし当然の流れか…)違う形でアーケード文化が盛り上がってくれると嬉しい、なんて『ウメハラ FIGHTING GAMERS』を読みながら思いました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。