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自己承認から自己実現へと欲求を昇華し肩の力を抜いて生きる

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どうもogasawaraです。

人は誰しも大なり小なり誰かに認めて貰いたいという欲求があると思います。僕自身は自己主張をあまりしないタイプで、他人にはあまり興味がありません。でもこんな僕みたいな人間でも誰かに認めて貰いたいという欲求は少なからずあります。

肩の力を抜いて生きる為にはどうしたらいいのだろう。自分なりに調べた方法と考えを備忘録として記しておきます。

目次

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承認欲求とは

逆説的に考えるなら誰かに認めて貰いたいという欲求があるのは認めて貰えないかも知れない認められていないと不安に思うからではないでしょうか。
或は足りないだけなのかも知れません。より多くの人に認めて貰いたいという願望から自身を貶めて苦しんでしまう。

では、一体どうしたらこの様な苦しみから解放されるのでしょう?

本当に認めて貰う必要があるのだろうか

認めて貰う必要があるのか?と考える。僕は、これが有効だと感じています。何かを気にしだすと、視野が狭くなり本当に大切なことすら見失ってしまいます。あとあと振り返ってみると、どうしてあんな無駄なことに必死だったのか、なんてただの笑い話になることもよくあります。

本当にあなたに必要なのは多くの人に認められることではなく、あなたの人生を豊かにする為の努力であり、その自己実現の結果として多くに認められるだけではないでしょうか。

だって褒められる為に頑張るのは幼稚ですよね?

マズローの5段階欲求というものがありますが、自己実現欲求が高次の欲求なのではなく、承認欲求が稚拙な欲求なだけなのだと僕は思います。

何故なら誉められたいが為に頑張っていた小学生の頃から変わっていないということになる。

頭では理解していても

幼稚な欲求に振り回されるのは解せない。頭では理解していても承認欲求から自己実現欲求へと昇華させるのは難しいものでしょう。どんな自分になりたいのかイメージも固まらない。だからぼーっとしてみませんか?

頭で理解する必要がそもそもないんです。

理解するに越したことはありませんが、腹はどうして減るのかを考えるのと同じです。

考えるんじゃない感じるんだ

登山でも釣りでもスキューバダイビングでも、はたまたアイソレーションタンクでもいいでしょう。

極力何も考えずに過ごすと自分が一体何が好きで何が嫌いなのか、どういうことにワクワクして高揚するのか分かる様になる。
これはたまたま登山が趣味の方と話す機会があり、その方の受け売りです。

この様なことも言っていました。
今の時代は常に大量の情報を浴びている。すると段々と麻痺してきて何が良いのか悪いのかも分からなくなる。
なるほど、そこで自分を見つめ直す必要があるのかと目から鱗が落ちました。

山登りが趣味なんてかっこいいな、自分もはじめてみようと思い。1年が過ぎました。時の流れの早さを感じます。

とりあえず直ぐに出来ること

とにもかくにも、1度ぼーっとしてみません?

肩の力を抜いてぼーっとするだけで何かしら気付きがあるかもしれません。何かをみつけることが出来たら儲けものだし見つからなければもう1度ぼーっとしてみましょう。