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『おもしろい!』が発見できる個人ブログを。

情報技術の進化がクオリア問題の壁を突破しようとしているので大好きな作品を引用して説明します

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どうもどうも。オガサワラです。

昨今、情報技術の発達に伴い様々な情報を共有することが可能になりました。

『このまま情報技術が歩みを止めることなく進化していった場合どうなるのだろうか』

情報技術とは、伝える為の技術。

とすると、そのうちに感覚や感情すら情報として共有できる世の中になるのではないだろうか…。

クオリア問題について

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クオリア問題というものをご存じでしょうか?

例えば、僕の目の前に赤い色のリンゴがあるとして、これは赤色だと僕は知覚しているわけですが、みんなが同じ赤をみているのかは分からないわけです。

僕が感じている赤色を等しく誰しもが同じ感覚で捉えているのかどうか…、という問題。

これがクオリア問題です。

攻殻機動隊

感覚すらも共有できるようになるとクオリア問題の壁を突破することができます。

これが何を意味しているのか…。

本来であれば行き来することができなかった壁を取っ払ってしまうことで個が消失してしまうかもしれない…。

というのも僕の大好きな作品、攻殻機動隊にこんな一節があります。

企業のネットが星を被い
電子や光が駆け巡っても
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来

つまり情報化が進めば国家や民族が消えてなくなると…。

国家や民族の紛争は基本的には相互理解が伴わないから起こり得るものです。

完璧に相互理解することができるなら国家や民族の紛争は消えてなくなるのでしょうし、さらに国家や民族という単位すら消えてなくなります。

そしてそれが進むと個という単位すら消えてなくなるのではないでしょうか。

ハーモニー

情報技術の進歩した先に待っているのは「one for all all for one」の究極の形なのかも知れません。

しかし、その世界をユートピアだと思うのかディストピアだと思うのかは今を生きている我々個人の感性に委ねられるところでしょう。

超管理社会をディストピアとして描いた作品は多々ありますが、僕が印象に残っているのは、伊藤計劃さんの小説「ハーモニー」です。

この話の中に完全調和を目指す世界に対し嫌悪感を抱く"御冷 ミァハ"という人物がいました。

超管理社会が到来するということは否が応でも個と個を仕切る壁がどんどん希薄になっていくということで、これに嫌悪感を抱く現代人も少なからずいるのではないでしょうか。

ハーモニーに置ける"御冷 ミァハ"の存在は、そんな我々現代人のメタファーであると感じました。

世界がどちらの方向に進んだ方が豊になるのかは明かだけど、個人の感性としてそれを良しとするのか否か…、というジレンマも作品から感じられます。

こういう話に興味がある人はぜひ伊藤計劃さんの「虐殺器官」と「ハーモニー」を読んでみて貰いたいです。

まとめ

なにわともあれ…

最近はクオリア問題の壁を突破することが我々人類の進化の形として正しいのか…、なんて途方もないことを考えて遊んでいます。